第48回三重大学歴史研究会大会が2月2日(土)、津市栗真町の同大学地域イノベーション研究開発拠点イノベーションホールデ開かれた。午前は学生の研究報告、午後から講演があり、会員や卒業生、歴史愛好家ら約100人が参加した。
学生部会の報告は2本。一つ目の日本史部会の学生による「幕末における松浦武四郎の人物関係~足代弘訓との関わりを例に~」が注目を集めた。三重大学教育学部2年の川井志織さん、黒川由佳さん、丹波雄飛さん、山野雄一朗さん、荻窪司さんが武四郎を巡る幕末の人物交流史、ペリー来航で江戸の雰囲気など生々しく語った。
5人は昨年(平成30年・2018)が松浦武四郎生誕200年、北海道命名150周年にあたり三重県の偉人である武四郎の多岐にわたる人物交流史に着目した。「同時代人と多くの書簡をやりとりし、武四郎の思想や信条を反映しているが、書簡の歴史的整理・分析がされていない」と指摘。
武四郎の思想上の師で支援者でもあり、書簡のやりとりが多い伊勢神宮神官の足代弘訓との嘉永6年(1853)~安政3年(1856)のやりとりについて研究した。この期間は、武四郎が全6回の蝦夷地踏査のうち、後半の3回に幕府お雇いとして踏査する時期。「維新の志士として朝廷工作を行ったり、藤堂藩や宇和島藩の依頼で外国船対応を調査して、国内外の情報収集と発信、攘夷の志士として活発に活動した姿を見ることができる」と解説した。
書簡分析の結果、アメリカ船来航・ロシア船来航に関する情報と武四郎の見解、足代弘訓の海防策、安政地震の被害報告、水戸藩や徳川斉昭の動きと評判、国内外の情勢報告、自身の蝦夷地調査の近況報告で、「武四郎の活動、思想などが明確に分かる」と述べた。
水戸学に対する評価と徳川斉昭への支持がはっきりと分かり、「幕府内の機密情報にも触れ、外国や諸侯に対する考え方、水戸藩との結びつき、思想の共有があった」と解説した。その上で、「蝦夷(えぞ)地踏査は個人的興味ではなく、欧米から北辺を守ろうとの愛国心の発露である」と評価した。
質疑応答があり、「足代弘訓と津の平松楽斎(津藩士・漢学者で武四郎は13~16歳の間、平松塾に学んだ)とは交流が深く、3者の関係を調べるべき」との指摘があった。
二つ目は東洋史部会が「明・清時代のキリスト教の受容と禁教の背景」について研究報告した。
講演では、三重大学教育学部の馬原潤二准教授が「メモリーとしてのミリタリー^欧州軍事博物館の国民統合機能に関する比較考察」、三重大学大学院地域イノベーション学研究科の山村亜希客員准教授が「近世城下町空間の形成過程」と題して話した。