カリキド
榊原の西にカリキドというところがあります。
榊原でいちばん早く雪が積もる所。
眺めがいいですよ。志摩半島から渥美半島まで、よく見えます。
ずいぶん昔ですが、榊原の郷土史家で知られる(故)崎一市先生が小学校の教師をされていました。
榊原のことなら何でもご存じで、分からないことは崎先生に聞く、これ常識でした。
「なんでカリキドと言うの?」
「津の殿様の鷹狩りの場所だった」と教わった。
「狩り」はそうでも「キド」は何?
疑問のまま二十年三十年経ったある日、町外のある人からカリキドを聞かれ、教わったとおり「鷹狩りの場」と言ったら、「そうなの?木戸だと思っていた」。
そう仮木戸、伊賀から山を越え榊原の初めての集落、伊勢国の入口だったのです。
そういえば津藩主の鷹狩り場は現在の津偕楽公園、御山荘でした。
カリキドには古くからの道標が残されており、「やまみち いがごへ」の文字が確認されます。
伊賀に向かうには、ここからは集落はなく山道になりますよ。
伊賀に抜ける本道でした。
伝説も残ります。
伊賀の向こうは倭(やまと)です。
古い伝説に、山越えで風に笠を取られた倭建命(やまとたけるのみこと)がカリキドで、村人たちに後ろを振り返り「あの山は笠取じゃ」と言い、笠取山の名が付いたそうです。
また継体天皇の皇女荳角媛命(ささげひめのみこと)がこの道を通られるとき、榊の群生を見つけられ神宮祭祀に用立てられ、この辺りの地名を榊原と呼ぶようになったとか。
高貴なお方は「ななくりの湯」榊原温泉で湯垢離をされ、身を清められたのだそうです。
ここから東へ下ると雲出川の下流、現在の大正橋の近くに天皇の森と呼ばれる物部神社があります。
昔はここが渡し場で、ここから雲出川を渡っていました。
物部神社の境内には「山辺行宮」「かりのみや」の石柱が残されています。
「仮」とは昔の高貴なお方が足を止められる場所、雲出川の増水での足止めや、一服する場所だったのでしょう。
倭国を出て伊賀を越え、伊勢に足を踏み入れたところが仮木戸だったのですね。
ちなみに現在の国道一号に相当するルートは、当時の国道二号であり、大正九年(一九二〇)四月一日 道路法に基づく「路線認定」が施行されて、「國道1號ハ東京市ヨリ神宮ニ達スル路線」となっています。
都から天照大神を祀る神宮への道路が国道一号、だったら古墳時代では倭の都から神宮へ、このカリキドのルートは国道一号だったのでしょう。
現在は仮木戸には集落はなくなり、建物は地蔵堂だけです。
もう当時の国道一号も消えてしまいました。
近くには榊原池があり、周回が出来る散策道も整備されています。
また少し足を伸ばすと榊原自然歩道沿いに、大滝や鴨が淵の滝が眺められます。
(榊原温泉ふるさと案内人・増田晋作)