都市環境ゼミナール(伊藤達雄会長)は5月21日(土)、アスト津(津市羽所町)で5月例会を開いた。講師として招かれた前副知事の石垣英一氏が「三重県行政に携わって…、今、振り返る」と題して講演した。
「伊勢志摩サミットは私の仕事の集大成だったが、菓子博が失敗だったら評価は下がるところだった。退任後も、毎日会場に詰めて応援した」。こう話す石垣氏は「40年間に5人の知事に仕えた。行政政治のはざまに生きてきた異色の役人」と自身を振り返った。
副知事になって果たすべき課題は、県政の負の遺産を片付けることだった。県境で愛知県ともめた木嘘崎干拓は高速道路から西は工業団地に、海側はメガソーラーと自然公園にした。50年あまり手つかずだった大仏山公園は里山として保全することで、伊勢市と明和町の理解を得た。不幸な事故のあったRDF発電は31年に終了するめどがついた。企業庁の水力発電は昨年度末に正式に中部電力に移管が完了した。
副知事時代の成果を強調しながらも、「40年間に知事や上司にはいっぱい迷惑をかけ、ダッチロール人生だったが、、民間の方々との多くの出会いがあって、人脈ネットワークのお陰で副知事を勤めることができ、伊勢志摩サミットで花を咲かせることができた」と感謝の気持ちを語った。
知事の思い出として、「県政を大きく変えたのは県民目線、生活者目線を訴えた北川正恭知事時代。予算の効率化、県民満足度を測れと、行政改革の先鞭を付けた。自分は議会対策のプロを自認していて、北川知事が訴えた、アンダーザテーブルからオンザテーブルへ。情報公開へと走り出して、私もどっぷり北川県政に漬かった。しかし、2期目は、インフラ整備に力を入れず、他県に多く後れをとることになった」と指摘した。
現知事との出会いは鈴木氏が27歳の頃で、「通産省時代の鈴木さんが議論好きで、三重県産業支援センターによく来てくれて、500円の弁当を食べながら議論した」と振り返り、さらに続けた。「知事になられて障害者雇用を全国47番目から20番目まで引き上げ、全国でも低位でタブー-だった小学生の学力をやっと全国平均に近づけてきた。顔の見える県政をアピールして、”オール三重”の県民参加を訴えてきた。財政は厳しく、県行政だけではやっていけない時代。県職員も30~40歳代は厳しき鍛えてきた。他県の職員に遅れをとることは無い。自信を持って頑張れと励ましている」と最後は胸を張って語った。
都市環境ゼミナールは、昭和47年に三重大学の開放講座「都市環境デザインの理論と実際」を受講した参加者によって昭和48年1月に創設。以来43年間毎月、例会(学習会)を開催している。問い合わせは都市環境ゼミナール(伊藤達雄研究室内)=電話059(231)6403。